Toshichan-man、病院を造る

 

 

 

 海に神がいる、癌に成ったから治療を受けるは間違っている、癌に成ったら一切の治療を拒否し、魚釣り三昧になることである。海の神が治してくれる。海の神は難病・万病を癒すことの出来る世界一の名医である。神であるからだ。

 

 癌で無くとも週に一度は魚釣りに行くようにすることが好ましい。魚釣りは心と自然との交わりになる。我々は自然から生まれた。海から生まれた。生まれ故郷に週に一度くらい帰ることは心と身体を健全にしてくれる。

 

 

 

 勝算は十分に有る。海の神がそれら病気を癒やしてくれる。気功ではない、神である。

 それら不治とされる、または極めて治療困難とされる難病を癒やす方法はこれしかない。海の神が癒やしてくれる。

 

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Toshichan-man、雪の中、魚釣りをする

 

310()2015

 toshichan-manは当直明け、この日しか魚釣りが出来ないため、寒いことを知りながらも魚釣りへ行った。大村湾の釣り場を幾つか見回ったが、釣れる感じがしなかったため、橘湾の大門に行った。道具を揃えて堤防へ歩いて行くと若い女性が一人居た。誰かを探しているような、誰かを待っているような、そんな感じだった。午前十時半のことだった。声を掛ければ良かったとtoshichan-manは非常に反省している。吹雪の中、竿などを持って堤防を目指すtoshichan-manを訝しげに見ていたようだった。(その女性の方、このブログを読んでいたらメールください!!!)

 雪の中、吹雪の中、toshichan-manは一人で魚釣りをした。魚釣りは全く引きもしなかった。Toshichan-manはやがて凍えながら帰っていった。地球人は雪の日は魚釣りをしないのだと始めて知った。Toshichan-manは宇宙人だから雪の日も魚釣りをする。しかし、たしかに一回も引きもしなかった。魚さんも雪の日は休んでいるのかも知れない。

 大門は何故か、若い女性が一人や二人で歩いている。若い20代前半と思える女性ばかりだ。何故だろう。ファミリーフィッシングで有名な大門だからだろうか?夏の間は横の砂浜が海水浴場として賑わっている。夏の日の、幻のような思い出を、想い出して、夏の日の海水浴場(姪の浜海水浴場)にやって来るのだろうか?

 地球人は根性がないから雪の日は魚釣りをしないのだろうか? 宇宙人は雪が降ろうと魚釣りをする。宇宙の魚さんは雪の日も釣れる。地球の魚さんは雪の日はお休みするのだろうか?

 雪の中、toshichan-manは思った。

 地球の魚さんは寒いと動かなくなるのだろうか?

 宇宙の魚さんは寒くても動くのに。

 吹雪いて前が見えなくなったので、toshichan-manは宇宙人だけど帰ることにした。

 地球人は雪の日は魚釣りをしないことにtoshichan-manは初めて気付いた。

 そうして、堤防に来るときに出会った20代前半と思われる女性のことを思った。

 話しかけたら良かったと非常に悔やみつつ、吹雪の中、堤防をクルマの方へと歩いて行った。

 toshichan-manもやっぱり今日は寒いな、と思っていた。

 吹雪の中、竿などを持って堤防の根元へと歩きながら、来るときに出会った女性に話しかけなかったことを悔やみつつ。

「地球人は雪の日は魚釣りをしない」

……なんて奇妙なことだ。雪の日に魚釣りをしないなんて。雪の日こそ、吹雪の日こそ、良く釣れるのに。

 toshichan-manは始めて気付いたこのことに微笑みながら、来るとき見た堤防の入口に居た若い女性のことを考えながら、クルマへクルマへと急いだ。さすがのtoshichan-manにも吹雪で足元がよく見えず、危ないと思えた。間違って海の中に落ちるかも知れないと危ぶんだ。

 

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 私は魚釣りは気功法と確信している。魚釣りに行った週は頭が冴える。 特に魚釣りに行った夜は頭が冴え渡り、社会の色々なことが読めてくる。今は冬で週1回に制限しているが、週2回の方がより良いであろう。1日2日3日と頭の冴えが弱まるのが自覚できる。行った週と行かなかった週では完全に異なる。行かなかった週は間違ったことをしないかと心配になるほどである。行った週は間違いは起こさない自信さえある。

 魚釣りに行って3日目、頭の冴えがかなり弱まっているとき、魚釣りのことを考える。釣り方の研究、ネットで穴場釣り場の探索、これらをしていると海の神に繋がるのだろうか、頭が冴えてくるのが分かる。私が中学高校時代、全く勉強しなかったのに物凄く勉強ができたのはこのためであったと気が付いた。

 

 

 

 

 

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 勉強ができる子は存在価値があり、勉強ができない子は存在価値が無いという超学歴社会・超格差社会に今は成っているが、これは改めるべきであることは言うまでもないだろう。しかし、誰も言及しようとしないのは何故だ?

 受験産業に惑わされ、学校の授業に付いて行けない生徒を塾に通わせる親……頭の中に何が入って居るのかと訝しくなる。塾経営者は良心の呵責と闘いながら塾を経営していることも多い。親が「子供が勉強できないんです」と嘆いてくるが、塾経営者は「金づる」が出来たと内心喜ぶ。塾経営も確かに今は大変であろう。しかし、塾経営者は良心というものを見失ってはいけない。

 ……こんな世の中で良いはずがない。世の中は弱肉強食であってはいけない。弱肉強食ならば獣の社会と同じではないか!!誰がこんな社会にした!!

 

(お話)

 私の友人の兄は小学1年の頃から新聞配達をしていました。夕刊も配達しており、遊ぶ時間は無かったと思います。家が貧しかったのです。高校は長崎東高。(当時、日見中からは東高へ行くには学年で15人ぐらいしか居なかった。上から15人しか東高へ入れなかった。合同選抜の時代である。今は西高が飛び抜けているが当時は東西南北差がなかった。長崎大学経済学部は当時、医学部と同レベル、いや医学部以上の難関であった)そして長崎大学経済学部へ現役で入りました。共通一次が始まってすっかり落ちぶれましたが当時、長崎大学経済学部は東大の下で、経済的に東京の大学に行けない生徒が行く大学でした。私の知っている人でも東大に行けたが経済的理由で長崎大学経済学部に進んだ人が何人も居ます。また、戦前は、長崎大学経済学部に行った後、東大に進むことも多かったらしい。

 その兄は、長崎大学経済学部受験の日も新聞配達して受験した。受験は1日で済んだのか2日掛かったのかは知らない。今、どうしているのかは知らない。その友人と今、会っていないからだ。

(付記)

 その頃の新聞配達は今の新聞配達とは異なる。家が貧しく喰えないから新聞配達をする。小学1年になると貧しい家庭の子は必然的に新聞配達を始めていた。最初は小学5年生以上、中学生などが指導係で、配達する家を教える。家を覚えさせるのに1週間ほど掛かる。50世帯から始めると思う。小学1年生だ。次第次第に配達する世帯数は増えてゆく。ある少年時代、新聞配達した人は今、自衛隊に居るが「新聞の重さで背が伸びなかった」と嘆く。小学生に70世帯80世帯の新聞を肩に掛けて配達するのは大変である。雨の日も雪の日も。豪雨の日もである。

 夕刊も配るから遊ぶ時間は無い。その頃はテレビと新聞とラジオしか情報を得る道具はなかった。貧しくテレビのない家庭もあった。インターネットが未だ無い時代である。なお、我が家は新聞は取っていない。インターネットで十分であるからだ。

 あの頃は夕刊を取る家庭が多かった。また、新聞は必需品であった。何種類の新聞を取る家庭も多かった。あの頃は新聞は非常に重要な情報源であった。

 午前3時頃から始めるから、小学1年生ならば午前2時には始めなければいけなかっただろう。今も真面目というか新聞配達を始めたばかりの人、仕事(勤務)が早い人は午前2時頃から新聞配達を始める。

 夕刊を配り終えて夕食を午後7時頃食べて風呂に入ったらすぐに寝なければ午前2時に起きることは小学1年生には不可能である。それを高校卒業または中学卒業まで続ける。大半は中学卒業とともに就職してゆく。名古屋、大阪などへ中学卒業とともに汽車で旅立つ友を学校の先生主導の下、長崎駅に見送りに行っていた。学校主導でなく先生主導である。学校主導では行えなかったのであろう。その見送りを何人に行っただろう。日見は貧しい家庭が多く、都会とは異なる。日見は貧しい家庭が多く、みんな助け合って生きており、学校は和やかであり“イジメ”はなかった。

 ある友は家が新聞配達をしており、自分自身も新聞配達をしなければいけなかった。この家庭は比較的経済的に恵まれており、高校に進んだが、大好きだった野球部に入ったが、朝の新聞配達が大変なため、野球部を辞めざるを得なかった。彼は非常に勉強ができており(私の次にできていた)、医学部も可能だったと思う。しかし、家の事情で普通科(長崎東高)に進むことを許されず、工業高校へ進まざるを得なかった。

 

 中卒で就職した人と今、年賀状などの交流は残っていない。中学時代の友と魚釣りに一緒に行くこともあるが、その他の友とは年賀状だけである。一人、新聞配達しながら高校に進んだが、高校3年時に遂に授業料を支払うことができなくなり、退学になった友が居る(彼は高校時代も新聞配達を続けていたはずである)。彼はボクシングを中学時代から自分でしており、高校時代はボクシングの長崎県チャンピオンになった。しかし、長崎県のボクシングのレベルは低い。福岡県のボクシングのレベルとは比較にならない。彼は今、海上自衛隊に居る。高校中退でボクシング長崎県チャンピオンという肩書きとともに自衛隊に入隊した。年齢的に幹部になっているだろう。自衛隊でもボクシングをしていると聞いた。ボクシングは痛くて、そして減量が厳しくて辛かったと言っていた。その貧しい家庭で新聞配達などを行いながら育った根性で厳しい海上自衛隊の勤務を楽々とこなしている。高校時代、共に海にサザエなどを取りに行き、沢山のサザエなどを近所の料亭に売りにいったが、5千5百円にしかならなかった(買い叩かれた)。彼は潜りが趣味(生活のためでもあった)であった。

 

 思うに、長崎大学経済学部へ進んだ人は、新聞配達していた少年の多くが中学卒業と共に名古屋や大阪に就職していったことを考えると、余程、勉強ができていたと思われる。間違いなく学年一番だったと思われる。今は貧しさが無くなったのか?不況で貧しい家庭は増えているはずである?分からない?

 

 

 

 

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 堕落は教育界にも及んでいる

 現在は5人に1人が登校拒否と言われるが、これは学力至上主義の弊害と信じる。学力よりも弱者を思いやる心を養うことが最優先されるべきと思う。学校にウサギ小屋を飼うべきです。そうして優しい心を養うべきです。

 今はどこも宿題が小学1年生から大量に出されるようになっているようですが、以前のゆとり教育に戻すべきです。学力偏重、詰め込み教育は廃止するべきです。競争原理がそもそも間違っている。人間は助け合って生きてゆくべきです。人間は競争してはいけない。

 以前、貧しい家庭の子は新聞配達をしていました。朝早くから、雨の日も雪の日も新聞配達をしていました。冬の寒さは子供には大変だったと思います。朝2時に起きて小学1年生から新聞配達をしていました。小学1年生に指導するのは小学校高学年生が行っていました。今は貧しさが無くなったのか?新聞配達をする生徒を見掛けなくなりました。

 そして以前は小学校中学校の先生は先生としての誇りがありましたが、今は無くなっているようです。サラリーマン化した小学校中学校の先生が大部分を占めるようです。

 高校の先生は以前から学問第一で生徒への指導は好い加減でした。しかし、今、それが小学校中学校の先生にも及んでいます。

 まず第一は、小学校中学校に於いて宿題を廃止すること、です。

 教育はまず人間性が第一ではないでしょうか?可哀相な人を大事にする姿勢と優しい心を教えることです。これが今の教育現場では全く為されていないから虐めが蔓延るのです。昔は虐めはありませんでした。

 学問はどうでも良いことです。学問は勉強のできる者を優先的に英才教育することです。これが国力上昇に繋がります。

 専門分野の教育はその専門家に任せて良いものです。しかし、今、専門家の教育が為されなくなっています。これが国力低下に繋がっている。これは陰謀であるかもしれない。

 とにかく国民の画一化を進める今の教育は是正するべきと思います。一人一人に個性があります。しかし、今の教育は個性を押し殺し、画一化する教育です。

 詰め込み勉強は中止するべきです。ゆとり教育こそ正しかったのです。

 

 

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 学校は競争を教えるのではなく、弱者を庇うことを教えるべきなのです。弱者に優しくすることを教えるべきなのです。ところが現実の教育現場は競争競争、競争を煽ることしか教えてない。これでは日本の将来を考えると暗澹となるのは私だけではないはず。

 獣社会と同じ競争を教える学校、もはや学校に行く価値は無いと判断して良い。

 学校の教員は“倫理”を勉強したことがあるのだろうか? 少しは勉強したことがあっても、それはほんの少し囓っただけと聞く。そういう教員に子供を教える資格はない。

 facebook で高校の教師をしている友人に尋ねても倫理のことは知らない。中学の教師をしている友人に尋ねても同じ。小学校の教師をしている友人に尋ねても同じ。教員は最低限、倫理は勉強しておくべきであるが……もはや彼ら彼女らは倫理のことなど構っていない。彼ら彼女ら教員は獣のように生きている。こういう人間(獣)に子供児童学生を教える資格があるだろうか?

 これでは5人に1人が登校拒否であって不思議はない。

 

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 助け合いの精神を教えず、子供達に競争しか教えない今の教育が間違っている。

 今の教育が間違っていることを気付いている学校の先生達は居るのだろうか?

 見渡すと、……いない。学校の教師の質の低下が今の社会の質の低下に繋がっているのかも知れない。

 しかし、以前も教師の質は良くなかった。社会が悪いのだろう。

 学校はこれからは「助け合いの精神を教える処」と成るべきだ。

 すると社会も助け合いの社会に変化してゆくであろう。

 社会は競争の社会であっては成らない。競争の社会であれば獣の社会と同じである。

 不幸な人を助ける社会でなければならない。

 

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 公園で遊んでいる子供達を見なくなった

 これが何故か、テレビゲームの普及によるものと始めは考えていた。しかし、実情は、“宿題を毎日出されるため、宿題するために公園で遊ぶことができない”だった。

 昔は、貧乏な家の子は新聞配達をしていた。雨の日も雪の日も朝早くから新聞配達する子が多かった。貧しかった昔、しかし昔はお互い助け合いの精神があった。しかし、今は助け合いの精神が子供から大人まで無くなってしまった。

 教育崩壊が叫ばれて久しい。今、改革のため行うべきことは、

1)宿題を無くすこと

2)助け合いの精神を教えること

 

 教育とは“助け合いの精神を教えること”にある。

 教育は競争を行うことではない。しかし、今の教師および親は競争のことしか考えず、助け合って生きてゆくことを考えようとしない。

 教育は競争を廃し、“助け合いの精神を教えること”にある。

 

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 教育とは助け合いの精神を育むことではないか?

 

 現在の学校教育を見ると、助け合いの精神を育むことは全く見られない。ただただ競争、競争に勝つことを強いられる可哀相な児童生徒達。

 世の中は助け合いで成り立っていることを児童生徒達に教えることが教育ではないだろうか? これを知らない小学校の教師があまりに多い。

 昔と異なり今は毎日大量の宿題が出ている。宿題ができない生徒は学校に来るな!と言わんばかりの宿題の量である。これでは5人に1人は登校拒否になることは必然である。学校側が登校拒否児童生徒を意図的と思われるように造り出している。

 教育の崩壊は学校側にあると断じて良いと思われる。

 少なくとも義務教育は助け合いの精神を育むことにあるはずである。

 

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 教育の崩壊も凄まじい

 小学1年から毎日大量の宿題、それが登校拒否の一因になっているが、現場の先生達は宿題を毎日大量に出すように上から命令されており、仕方なく出していると、思われる。

 これでは5人に1人が登校拒否に成って当然と思える。以前のゆとり教育に戻すべきである。

 以前は、貧しい家庭の子は毎日、新聞配達をしていた。机に向かう時間なんか無い。朝3時に起きて新聞配達。学校では疲労で眠くなる。夕方には夕刊の配達。

 

 現代はあまりにも子供を甘やかせているが、宿題の多さには疑問視である。教育委員会もまた上から命令されてそうしているものと思われるが、これでは日本の未来は暗澹となることは必然である。

 

 昔はできる子も希望する分野の学部に行くことができた。しかし今は、できる子は医学部に進むことを進路指導される。天文学者になりたい、数学者になりたい、物理学者になりたい……そういう子供も医学部へ無理矢理進められる。学校の評価は医学部へ何人進んだということで計られることが多いからだろう。

 

 

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こんにちは!

Youtubeの一括再生の仕方(再生リストの作り方)分かりまして、もう既に造ってしまいました。作り方分かると比較的簡単な気がします。検索に反映されるまで少し時間が掛かるようです。

スピリチュアル普及会のは「スピリチュアルヒーリング」という再生リスト(一括再生)で造りました。

コバチャンのは「シルバーバーチ」という再生リスト(一括再生)で造りました。

私はリチャード・コシミズの「独立党」に凝っていた時期がありまして、再生リスト(一括再生)にしないとなかなか読まれないことを知っております。

今はリチャード・コシミズはおかしいと思ってベンジャミン・フルフォード氏に私淑しております。

ベンジャミン・フルフォード氏もYoutube に再生リスト(一括再生)を作られています。

他、モーゼスの霊訓、が再生リスト(一括再生)なしに置かれてあります。これでは読まれません(これも再生リストを造ろうか?と迷っています)。

コバチャンのは18個入れました。でも、まだまだ有るようですが?

58個ほどのスピリチュアルの再生リストもありました。驚きました。

ご報告まで。

この世の中、シルバーバーチの霊訓が広く広まらないと良くならないと嘆いています。

では。

 

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 この世の中、日本、間違っている

 

 toshichan-manは思う、今の日本は弱肉強食であり間違っている。世の中は助け合って生きてゆくべきです。どうしてこういう世の中になったのか? 昭和30年代40年代の日本は助け合って生きてきた。貧しさがあったためだろう。貧しさが助け合いの精神を呼び起こしていたのだろう。

 

 今の社会では獣の社会と全く同じであり、強者が弱者を食する。これで良い訳がない。

 女性は欲の塊であり、女人成仏し難し、と言われるように女人はほぼ全員駄目である。良い女性は稀である。

 男性は社会改革下へ命を賭ける人が多かった歴史が証明するように男性は欲を棄て社会のために尽くすことが多い。

 しかし、今、悪魔が世界を支配しているのか?疑問に思えることが多く有る。社会改革家として私はベンジャミン・フルフォード氏と数名しか信じることができない。後は、疑問点が多すぎる。

 

 助け合いの社会が現出しなければならない。霊能力で多くの病人を救ってきたハリーエドワード氏のようになりたい。しかし、私にはその力がない。ハリーエドワード氏の著書は今は絶盤になっており、非常な高値でしか手に入らない。しかし、その日本語訳がネットにあった。だが、それが今、何故か見つからない。

 

 世の中は助け合っていかなければいけない。南アメリカの遺跡には助け合って生きてきた民族の歴史が刻まれてあると言われる。アステカ文明、マヤ文明である。しかし、その文明は滅びてしまった。

 

 再び、助け合って生きてゆく社会を築くべきだ。弱肉強食ではない理想の社会の現出を目指すべきだ。しかし、道は遠い。toshichan-manにハリーエドワード氏のような力があれば、どんなに良いだろう。不幸な人達のため、朝から夜まで働き続けるようになりたい。

 せめて、スピリチュアル研究会の人達のように、病気癒やしの力を得たい。不幸な人達を救って行ける人間になりたい。

 

 ハリーエドワード氏の十分の一でも良い。不幸な人を救える力を持ちたい。病気治癒を通して神の存在を人々に知らしめて、正しい生き方を教えたい。

 正しい生き方とは人のために生きることである。不幸な人のために身を粉にして生きることである。しかし、その力が私にはない。

 

 第三次世界大戦は回避された。あとは、この世を助け合いの社会にすることである。

 いがみ合い、競争する社会を、人々が助け合って生きてゆく社会にしたい。

 

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 あくなき欲望追求社会が間違っているとtoshichan-manは言いたいのです。

 欲望を押し殺して人のために生きるのが本当の人間の生き方ではないでしょうか?

 あくなき欲望追求であれば獣と同じであります。

 

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http://sky.geocities.jp/mmm82883/